♪夢をあきらめないでー旧3年(2年)7組の記念館♪

ー私の青春時代ー旧・3年(2年)7組の思い出とともに生きている私ー

♪日々の記録♪

たくさんの手紙を頂き本当にどうもありがとうございました。朝、急いで書いたので、書き足りないこともありました。彼女の両親は、彼女を普通に育てていました。私が遊びに行った時も、片手で料理を一生懸命に作っていました。右手がなくてもホルンも吹けるものです。勉強も、スポーツも何でも私以上に活発にやっていました。でも、叔母さんが、ポツリと、「夢の中で、私の右手を切って、子供に付けている夢を見るんだよ。」と言っていました。やっぱり、心の奥では、将来を心配したものでしょう。彼女も私も、人間は、誰でも、いろんな悩みや苦しみなどを持ちながら暮らしていると思います。何が苦しみかは、その人それぞれの気持ちの持ち方で変わるものかも知れません。困難な事があってもそれを小さいととるか、大きいととるかは、心の持ち方なものかな(?)と思います。それに、1人の人間として意思を持って何かをしたり、当たり前の事をやっているものは、私と同じだと思います。だから、表面的に同情をしたり、見下したりする事だけはしたくないものです。時には、そのまま通り過ぎて欲しい時もあると思います。それに、他人が困っていたら、力になるものは当然の事として手助けをしたいものです。してあげると言う気持ちではなくて、困った時は、お互い様と言う素直な気持ちで自然と出来たら良いと思います。さっと手を出して助ける。人は当たり前に支えあっていけたら良いと思います。それに、出来る事からはじめたいものです。1人で出来ないことは、周りの人にも声をかけるような、そのような積極的な手助けも出来たら良いと思います。幸せは、人のために尽くしている事が幸せなものかも知れません。私は、病院に入院していた時は、子供が管に繋がれて、経口栄養だけで生き延びていて、意識もない子供がいました。両親は、「生きているだけで良い」と思っているものだと思います。その子供を見て、「今を一生懸命に生きる」事と「命の尊さ」などを学びました。私も彼女のように、諦めずに前を向いて積極的に生きていきたいものです。それに上を向いて歩いていきたいものです。街を歩いていて、お店の2階がどんな風になっているものか気が付かない時は、うつむき加減で歩いていると言う事だそうです。後で、間違っていた事があったら言って下さい。まだまだ未熟な私です。